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Universitaet Marburg


街の紹介

マールブルク。ドイツ語っぽく発音するなら、アクセントは「マー」に置こう。名前を聞いたことが無い方がほとんどだと思うので、まずは地理から始めよう。マールブルクの町はヘッセン州にあり、フランクフルトから北に77kmの距離にある。交通の便はよく、フランクフルトからは電車で乗り換えなしで1時間だ。デユッセルドルフから行くと、乗換えが必要で3時間もかかってしまう。
街の名前は少し前まで"Marburg an der Lahn"、すなわち「Lahn河畔のマールブルク」だった。ドイツ人が多く住んでいたスロベニアにあった街をドイツ人は、「マールブルク」、それも"Marburg an der Drau"と呼んだので、混乱を避けるためにこのような名前になっていた。ところがドイツが戦争に負けて、ドイツ人がこの地域から追い出されると、混乱の危険もないので、単に「マールブルク」という名前に簡素化された。
ドイツでも村落の過疎が問題になっているが、マールブルクの人口は上昇を続け、ここ10年で1万人以上増えて10万人に達する勢いだ。その理由は大学。マールブルク大学の建設は1527年で、最古の大学というわけには行かないが、Tuebingen,Heidelberg,Goettingen等と並ぶドイツの4大大学の一つで、2万4千人近い学生数を抱えている。
街の発展は、9世紀にここにある貴族が"Burg"(城砦)を構えた事に始まる。城砦の近くに住めば安全なので、付近の村落から住民がこの地域に集まり始め、城下町が生まれることになった。マールブルクの象徴になっている城は、快適に住めるように11世紀以降、数百年かけて城砦から城への改築された。町として発展を始めたのは13世紀、Elisabeth von Thueringenが、ここに居を構えたことに始まる。彼女はハンガリー人であったが、(当時の慣習で)4歳の時にThueringen公爵と婚約して、ドイツに連れてこられ、すでに14歳にして結婚させられる。ところが7年後に公爵が死去すると、マールブルクに「隠居」して病人や貧困層の住人を助けたが、3年後には24歳の若さで死去する。4年後、カトリック教会がエリザベート(英語読みではエリザベス)を聖人と宣言すると、"Deutsche Orden"という宗教団体が彼女の名前を冠した教会を建造する。ゴシック様式の美しいこの教会は、エリザベスの伝説も手伝って、この街の観光名所となり、巡礼者で大いに栄える事となる。
マールブルクは周辺の領主の興味を惹き、どこかで領主が死ぬと、「今が領土を拡大させるチャンス!」と戦争になり、マールブルクは所有者をめまぐるしく変えていく。16世紀になるとフィリップ一世が13歳の若さで領主の座につくと、プロテスタントの保護者として、その教えを研究する目的で大学を建設する。その後の30年戦争では、プロテスタントの砦であるマールブルクはカトリック軍の攻撃目標になり、スウエーデン軍に占領される。30年戦後はヘッセン-カッセル辺境伯の領土なり、マールブルクの政治的な意義、役割は著しく減少する。ナポレオンがドイツを占領して、「ヴェストファーレン王国」を建設すると、マールブルクは"Werra"州の州都になり、マールブルクは政治の表舞台に復帰するが、ご存知の通りこのルネッサンスは長続きしなかった。プロイセンがドイツの覇権を手中にすると、マールブルク大学を拡大、多くの学部が新設されて、町の人口は3倍に膨らんだ。そして今日でもマールブルクと言えば、大学町として知られている。
マンハイム、デユッセルドルフなどの工業都市と違い、マールブルクにはFachwerkhausの綺麗な建築物が多く、「こんな街に留学できたら、、。」っていう気持ちにさせる街の雰囲気をかもし出している。この辺りはグリムの童話の舞台になった地域でもあり、緑が多く、田舎道を走っていると時代の流れを忘れさせてくれる。学生にとっては物価が安く、アパートなどの賃貸料が安くあがり、留学にはとてもいい環境がそろっている。でも、盆地になるので坂道が多く、自転車での移動はかなり疲れる。ここに留学すれば、ドイツ語と同時に、足腰が鍛えられるのは間違いなし?

サマーコ−ス

 この大学のサマーコースは2011〜2012年をもって廃止されました。
 

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