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Heinrich Heine Universitaet Duesseldorf

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街の紹介

Duesseldorf。日本語でドュッセルドルフ、あるいはデュッセルドーフと表記されているのを見かけます。前者は発音上正しいですが、後者は明らかに間違い。ドーフって、って意味ですから、デュッセルドーフでは、「デュッセル(の)」になってしまいます。
冗談はさておき、デュッセルドルフはドイツの一番西にある州、Nordrhein-Westfalen州(以下NRW州と略)の州都です。この機会にNRW州について少しだけ紹介すると、NRW州はドイツを構成する16州の内、最も人口の多い州(1800万人)で、ドイツの総人口の約20%を占めます。つまりこの州は、日本の都知事選挙のように、国政に大きな影響ある重要な選挙区です。政治的にはルール工業地帯で働く労働者が多かったのでSPDの地盤でしたが、産業の衰退と共に人気を失くし、2005年から39年ぶりにCDUが政権を奪取しました。しかし2008年からの大不況とスキャンダルで、今度はCDUが人気を無くし、2010年にはSPDが政権に復活しています。
デュッセルドルフからオランダまで車で20分、ベルギーまで30分ですから、「外国」に行くには便利な場所にあります。「どうして、(ケルンではなくて)よりによってデュッセルドルフのような小さな町が、州都になったの?」という質問は、「どうして、Bonnが西ドイツの首都になった?」という質問と同じくらい聞かれます。後者はBonnの町の紹介に割愛するとして、前者はこの辺りを占領した連合軍の司令部がここにあったという理由によります。ここに市の行政機能があれば(当時は何から何まで連合軍の許可を必要としましたから)、都合が良かったわけです。
これがデユッセルドルフと仲の悪いケルン市(民)には、気に入りません。デユッセルドルフの発展はプロイセンの皇帝が12世紀に、まだ人口のまばらなこの地域に兵隊を駐屯させたのがその歴史の始まりになります。現在でも街の一角は、Kaiserswerthという名前で呼ばれています(WerthはWerderとも言い、河川に挟まれている島を指します)。もっとも当時はDusseldorp という名で呼ばれていました。これ(プロイセンの駐屯地)がケルンの領主に気に入る筈もなく、1288年にはプロイセンからこの地方の統括を任せれていたBerg公爵との間で戦争になります。この戦争で勝ったのがBerg公爵、つまりデュッセルドルです。その後、村(Dorf)から町に昇格しますが、4へクター(200mX200m)にも満たない小さな地域で、15世紀の地図にはまだ名前も載っていません。
デユッセルドルフが発達したのは、よりによって戦争のお陰。7年戦争の頃から度々フランスに占領され、ライン河畔にあるこの町の戦術的価値が高まり、ここに要塞が築かれ、町の周囲はローテンブルクで見れるように城壁で囲まれます。この機会に町の名前が、デッユセルブルクに変わってもよさそうですが、すでに存在していたデユーイスブルクの町と混同しそうなので、名前は変更されず。ちなみに当時の城壁の跡は、今でも市内で見る事ができます。近代になって電車の路線を引く際、残っていた城壁を壊して路線を引いたので、市内に向かう道路、線路は必ず橋を渡っていく様になっています。ここが以前の市内と市外との境界線だったわけです。
「日本企業は、どうしてよりによってデユッセルドルフに集まっているの?」という質問もよくされます。デュッセルドルフ周辺はエッセンのクルップで有名なように、炭鉱に恵まれ、ドイツの重工業の中心地でした。戦後、炭鉱の研修生として数多くの日本人がドイツの炭鉱に派遣されるようになります。この炭鉱労働者が研修を終える頃には、日本での炭鉱業は衰退を始めた為、「帰っても仕事がないから。」と、労働者の幾人かはそのままドイツに残って生活を始めます。この頃からデユッセルドルフに日本人が集まるようになります。当時は数百人の小さなコミュニテイーでしたが、この頃から日本食のレストランを始める人も現れて、次第に日本人向けのインフラが整備されていきます。日本人学校が設立されると、進出してくる日本企業の数が増え、ますますこの傾向に拍車がかかります。60年代までは日本人の町として有名だったハンブルクを追い越して、70年代から80年代にかけてデュッセルドルフが日本人の町として確立する事になりました。もっともその数は90年代に頂点に達し、以降、減少傾向が続いています。
こうした背景(日本企業はデュッセルドルフ市の財源の1/10にあたる額を税金として払っていました。)もあって、デュッセルドルフの住民は日本人に対して、比較的いいイメ-ジを持っていますから、アパート探しの際に大家に不審な外国人と混同されなくて済み、スム−ズに契約が結べます。また、デユッセルドルフではドイツ語は片言でも、日本語が出来ればアルバイトができるという強みがあります。この為、ワ-キングホリデ-などでドイツに長期滞在するなら、デュッセルドルフは滞在先としてお勧め。これに加えてデュッセルドルフはライン河沿いで、気候が温暖で住み易く、日本食料品店、レストラン等々インフラが整っていて、町並みが少々殺風景(近代的とも言う。)な点を我慢すれば、日本人には生活しやすい街です。


アクセスデータ

 バス・電車路線図(PDF)


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サマーコース

レベル 初級(要200時間以上の学習時間)、中級、上級
期 間 1)2017年7月31日〜8月11日
2)2017年8月14日〜8月25日
宿 泊 こちらの大学ではコースのみの提供しております。
授業時間 9時〜12時30分/月曜〜金曜日  毎日5単位の授業。(合計40単位)
クラス構成 各クラス16名まで
申し込み期限 定員になり次第
遠 足 デユッセルドルフ市内及び近郊。
費 用 350EUR (教材費22ユーロ程度は別途請求されます。)
費用に含まれるもの 授業料、弊社の手配料
インターネット 大學のPCが無料で使えます。
参加資格 18歳以上(自己申告制)
海外旅行保険 コース参加には、ドイツで有効な健康保険に加入されている事が条件です。保険証の提示は求められませんが、ドイツで有効な健康保険に加入されてから渡独してください。参 Care Concept  参 Stepin
備考 コース期間が短いわりに費用が高く、宿泊施設の手配をしてくれないので、デユッセルドルフ在住者向き。日本からの参加者には向いていません。

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