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ドイツ&周辺諸国観光案内
Rothenburg ob der Tauber

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街の紹介

ドイツに観光に来たら誰もが立ち寄る街"Rothenburg"は、ドイツの観光庁が銘々したロマンテック街道のクライマックス。交通の要所から外れた所にあるので、行くのが大変。フランクフルトから渋滞がなくても車で2時間、電車だと最低2回乗り換えが必要で2時間半〜3時間もかかる。ミュンヘンからだと車で2時間半(渋滞に遭わなければ)、電車では接続により3時間以上もかかってしまう。しかしアウグスブルクに住んでいると車で2時間未満。デユッセルドルフからフランクフルトに行くよりも近い事実に感激。電車でいくならアウグスブルク中央駅から2時間半程度。週末に行くなら接続が少ないので、3時間ほどかかってしまう。

街の名前は12世紀までこの街を支配していた"von Comburg-Rothenburg"(コムブルク ローテンブルク家)に由来する。伯爵家が作った町はローテンブルクの名前を冠しており、合計して6つの都市がローテンブルクの名前で呼ばれている。13世紀には神聖ローマ帝国の"Reichsstadt"になり、関税をとることが許されて町は次第に裕福になっていく。この街が有名になったのは30年戦争(1618〜1648)での逸話が原因。1631年、ローテンブルクの街は抵抗の末、占領されてしまう。当時の慣習では、街が押し寄せる敵に対して抵抗をせず降伏した場合、街を略奪しないという決まりがあった。当時の兵隊のほとんどは傭兵で、規律も何もあったものではないが、司令官が略奪を禁止するとこれは大方守られた。しかし街が抵抗の末に占領されると、3日間は略奪し放題。文字通り「何をしても」良かった。この為、まずは見せしめに街の役人は皆処刑されて、街自体は(略奪後まだ残っているものがあれば)破壊される事になった。

ローテンブルク近郊はワインの産地でもあるが、包囲軍の司令官の機嫌を取る為、ワインケラーのマイスターはビールのジョッキに特産のワインを並々と注いでもてなした。でかいジョッキ(3/4ℓ)に感銘を受けた司令官は、「この杯のワインを一気に飲み干せるなら、役人の処刑と街も略奪も取りやめよう。」と賭けを申し出た。もはや「失うもには何もない。」街の市長がこの賭けを受けると、司令官の目前で本当にお酒を一気に飲み干してしまう。賭けに敗れた司令官は街の略奪を禁じ、こうしてローテンブルクの街は運良く略奪を逃れる事が出来たという伝説だ。以来、市民はこの市長の見事な飲みっぷりをMeistertrunkと賞賛、ドイツ人なら誰でも知っている昔話となった。
ローテンブルクの観光局は怒るだろうが、この話には証拠がなく、おそらく作り話だ。カトリック軍の司令官、von Tilly将軍はローテンブルクの前にマグデブルクを陥落させると、女、子供も容赦なく住民を抹殺、それでも十分ではなかったらしく町を焼き払うという残忍行為を行った。これで破壊の欲求が満たされていたのか、それともマグデブルクの残忍行為を後悔していたのか、ローテンブルクは「恩赦」を受けたと考えられている。占領軍の最後の兵が町から引き上げたのが1650年で、6万人もの占領軍が20年近くに渡って町を占領していたことになる。占領軍への兵站提供で町の経済は披露し尽してしまい、町は経済的に破綻、住民の多くは他の町に移住してしまった。こうしてローテンブルクは発展から取り残されて、占領軍が引き払ったままの姿で保存されることになった。

バイエルン州では、「次はパッサウかローテンブルク。」と世界遺産都市指名を期待しているのだが、ローテンブルクは世界遺産都市になっていない。それでも1万人程度のこの小さな町に年間1億近い観光客が押し寄せて、日中の街の人口は50%もアップする。かっては日本人観光客が一番多かったが、今では中国人観光客が圧倒的な差を付けてトップ。とりわけ町の中心部は中国人観光客が龍のようにゾロゾロと歩いており、その流れが絶える事はない。
車でこの街に行くと、「どこから入ったらいいの?」と迷ってしまう。この街は未だに街の周りを城壁で囲まれており、入り口は(敵の侵入を困難にする為)狭い門が数個あるだけ。車はやっと1台通るだけの幅しかないので、門を通っている際に対向車が来ない事を祈るのみ。城壁の中はそこら中駐車禁止で、駐車場はほとんどない。観光をする場合は、城壁の外(の駐車場)に車を停めていこう。

駐車場(1日5ユーロ!)"P1"の近くにあるとりわけ立派なこの塔は、"Spitaltor"と呼ばれている。病院と一緒になっていたので、このような名前になったが、その大きさには圧倒される。外見ばかりではなく、中身も立派。壁の厚さは優に1mはある。エスリンゲンの厚さ3mの城壁には及ばないが、それでも立派。かっては随所に大砲が備えられており、押し寄せる敵軍を狙い撃ちできた。今でこそ散歩道になっているが、当時はお堀には水が流れていた。町に入るのはこのお堀にかかっている橋を渡って堅強な砦と城壁を越えると、第二の城壁と見張り塔に遭遇する。そういえばアウグスブルクの「赤い塔」のそばに残っている城壁跡も、このような広大かつ巨大な二重構造になっている。

では門をくぐって市内に向かおう。写真中右の建設中の綺麗な建物は、この場所にふさわしく病院だ。わずか数百メールでもう有名な観光名所が見えてくる。歩道から撮ると車が景観を壊すので道路に出て撮影するも、道端で立ち話に熱中している人が、石のように立ち尽くしたまま。そんなときに重宝するのが、超広角レンズ。対称にぐっとよって撮れる。今日のベストショット。気に入ったのでトップでも使用。門をくぐった場所が、"Das Plönlein"と呼ばれる観光名所。きっと何処かでみたことがある筈だ。観光客が絶えることがない場所なので、写真を撮るなら長時間露出が必要です。あるいは超広角レンズで寄る!ほとんどの観光客はここで記念写真を撮ると、それで終わって中心部に向かうが、これが大失敗。写真中右手の脇道を進んでみよう。この先にあるのが"Kobolzeller Tor"で、見るからに堅強な作りだ。門の内側が2階建てになっており、門を閉じれば侵入者は袋のネズミ。四方から弓と槍が雨あられと飛んでくるわけだ。この先にある趣のある建物は現在、ユースホテルとして使用されている。
ここまで来たら是非、城壁に登って歩いてみよう。かって城壁を修復する際に募金をした団体は、ここに名札を埋め込まれている。修復の際に銃眼の他に幾つか「見晴らし穴」が設けられており、ここから眺めるローテンブルクの景色はとっても綺麗です。ほとんどの観光客はここまで足を延ばしていないので、独り占めできます。記念写真を撮ったら、来た道を戻ろう。この道を登っていけば、すぐ先には有名な市庁舎だ。でも道の両脇にかわいい教会や、誘い込まれそうな路地があるので、まっすぐ歩いていくのは至難の業。とりわけこの辺りには、手間とお金をかけた装飾を施された建物が多い。


         
ここがローテンブルクの聖地、市庁舎前の市場だ。いつも観光客で賑わっている。「どれが市庁舎よ。」と全く前調べしないでローテンブルクに付いて来た連れには、左が市庁舎で、右側が"Ratstrinkstube"と呼ばれる昔のお金持ちの市民の家であることを教えてあげよう。感謝するどころか、「で、どっちが市役所なのよ。」と言う連れには、この両方が市役所であることを辛抱強く教えてあげよう。ローテンブルクの市役所は"Doppelbau"(ダブル建造)と呼ばれ、白い市庁舎が二棟建っていた。ところが16世紀に火事で片方が焼け落ちたので、新しい市役所がバロック様式で建設された。ここで記念写真を撮ると、観光客が多すぎて満足な絵にならない。でも超広角レンズを持っていると観光客の前に出て写真を撮れる。名物は"Ratstrinkstube"の建物に仕込まれた仕掛け時計。上述のMeistertrunkの小話が展開されます。11時、12時、13時、14時、15時には、市庁舎前の広場は一目この仕掛け時計を見ようとする観光客で埋まり、「こんなに観光客が居るのか!」と(時計仕掛けよりも)そちらの方に驚いてしまう。ぶっそうな話も紹介しておくと、この広場は処刑にも好んで使用された。集団処刑で斬首された遺体はここに並べられて、坂道すっかり真っ赤に染まるまで遺体を動かすことを禁じられた。

広場の片隅に建ってる見事な骸骨屋敷は"Patrizierhäuser"と呼ばれるかっての町の上流階級の家だ。左側は"das Fleisch- und Tanzhaus"(肉屋+ダンスの家)で、13世紀に焼け落ちた市役所の土台の上に建っている。右側は"Die Marienapotheke"(マリア薬局)と呼ばれている。15世紀に当時の市長が、肉屋+ダンスの家の隣に作らせた。この屋敷の前にローテンブルクで一番立派な噴水(井戸)がある。"Georgsbrunnen"と呼ばれ、深さは8mもあるそうだ。かってはこの噴水の前に処刑台があったが、勿論、今日では除去されており、近隣の建造物を合わせたステキな景観を提供してくれる。
市場の手前を左に曲がると、1年中、有名なクリスマスのデコレーションを売ってる店がある。見逃すこのがない目印が店の前にいつも停まっている。対面にはローテンブルクの有名ホテル、"Eisenhut"がある。一番安い部屋はウォークインクローゼット程度の広さ。夏はクーラーがないので要注意。そのお隣にはテデイの専門店。でかいテデイが目印だ。通りの先に見えてくる塔は"Burgtor"だ。もっとも外側から見たほうが立派。塔の中ほどに石のマスクを入れているのが面白い。よっく見てるとたんなる飾りではなく、ちゃんと塔の中から覗けるようになっている。なんでも当時は侵入者をこの入り口で止めると、溶かした鉛を口から侵入者に降り注いだそうだ。この辺りは見晴らし場になっており、ローテンブルクの町の半分が見渡せる

市場の手前を右に曲がると"Markusturm"が見えてくる。なんと12世紀の建造物で、塔のてっぺんのコウノトリの巣がトレードマークだ。「なんだ大したことない。」と引き返さないで、アーチ形になっている門をくぐってみよう。外側から見る門は、絵葉書でよく使われるモチーフなのに、ここまで(わずか数百メートル)歩いてくる観光客は稀。時間を少しかけてベストショットになる角度を探そう。かって(12世紀は)ここが町の境界線だったが、町の拡大に伴って14世紀に新しい城壁と塔が後方に建設された。それが"Rödertor""Röderturm"だ。塔の高さは36mほどあり、かなり遠くまで見渡せる。入場料が1.50ユーロかかるが、ここまで来たら是非、塔に登ってみよう。上から見渡せるローテンブルクの景色は、頑張って階段を登った者がけが見れる貴重なもの。この日は塔をほぼ独り占めできたので、50mm単焦点レンズでパノラマ撮影したり、ビデヲを撮ったりできました。
ローテンブルクは近代化に邪魔な城壁が残った稀な例。"Röderturm"のお隣は、物騒な名前の"Galgentor"(絞首塔)だ。この塔は内側から見たほうが綺麗。ちなみに上述のカトリック軍はこの塔を攻略して、ローテンブルクを陥落させた。この塔に向かう道、あるいはこの塔から市内に向かう道は綺麗なので、是非、歩いてみたい。先にあるずんぐりむっくりの塔は、"Würzburger Tor"で、ここをまっすぐいくと市内の中心部に戻ってくる。
ここからどちらに行くか。左に曲がると駐車場なので、まずは直進してデカイ教会"St.-Jakobs"教会を見て行こう。14世紀初頭に建造が始まったこの教会は、11年後に資金が尽きて建設中止。その後、15世紀に完成された。右(55m)と左(57m)の塔で高さがちがうのも、そのためか?道の両脇に並ぶ古風な家屋を眺めながら道を下っていくと、"Klingentor"が見えてる。16世紀に建造されたこの塔には教会が併設されており、教会の壁が城壁になっている。この塔はかって井戸から水をくみ上げて、町に水を提供していた。量こそ少ないが、ローテンブルクで唯一、お堀には緑色に濁った水が残っている。塔の下には兵隊の宿舎が残されており、城壁がぐるりと町を囲っている。城壁に登ってしばらく歩いてみたいが、足の親指が内出血してそろそろ限界。来た道を引き返していると、すごい騒音を撒き散らしながら場違いな車が走ってきた。

上述の交差点で右に曲がる(写真中直進する)と、行き当たりには小さな塔と駐車場があるだけだが、この倉庫は立派。なんと7階建て。その他にも立派な骸骨屋敷があれば、横にはわびさびの小路もあります。小路に入ってみるとかわいい長屋があります。このドア、高さ、1,6mくらいしかありません。見るからに新築のこの家は見事に城壁にはめ込まれており、景観を崩さない努力に感心。
この地方の特産はSchneeball(雪玉)だ。「作り損ねたMr.ドーナッツみたい。」というのが、これまで聞いた中で最も的確な表現だ。「味の割りに結構、高い。」という記憶があったが、今回行くと1.6ユーロ。あれ、安い。昔の写真を探ってみると、1.4〜2.6ユーロ。当時はユーロが導入されたばかりで、「1.4ユーロなんて3マルク!」と思っていたのに、今や「たったの1.6ユーロ」になるのだから不思議。

6時間以上頑張りましたが、幾つか名所を撮り損ねました。博物館なんて入っていないのに。町を全部見るには1日は必要です。バスでの3時間訪問では名所は見れ切れないので、時間の余裕のある方は是非、一泊していきましょう。

ローテンブルクまでの送迎はこちらをご覧ください。


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