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ドイツ&周辺諸国観光案内
Riedlingen

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街の紹介

"Biberach"の30Kmほど離れた所に"Riedlingen"という町がある。人口はかろうじて1万人を突破している小さな町だが、工業化の波に乗り損ねたお陰で、中世の趣をまだ残している。ビーバラッハまで行くなら、是非、こちらの町も見ていこう。

リードリンゲンに関する最古の書簡は9世紀。もっとも町ではなく、ドナウ河畔の小さな集落に過ぎなかった。13世紀になって近郊の権力者がここに町を築かせたのが、リードリンゲンの始まりになる。ドナウ河畔にある地の利に目をつけたオーストリアのハープスブルク家がこの町を手に入れるが、借金の返済ですぐに売却、その後、町は何度も所有者を変えて、14世紀に神聖ローマ帝国を築いたシュタウフェン家の親戚である"Waldburg"家の支配下に収まる。

16世紀になると宗教改革の波が、この小さな町にもやってくる。支配階層はカトリックだったが、貧乏な市民はプロテスタントを支持して、支配階級と仲たがいする。もっとも強大なヴァルドブルク家に抵抗するには非力なので、ドナウ河畔のほかの町とプロテスタント同盟を組んで抵抗、1680年にはヴァルドブルク家の支配を離れ、再びハープスブルク家の支配下に戻ってくる。もっともハープスブルク家もカトリック教なので、この町の帰属の変更にどんな利点があったのかは不明。興味のある方は調べてみてください。19世紀にはヴルテムベルク家の支配下に移り、今日に至っている。

基幹産業がないため、第二次大戦でもほとんど被害を受けなった運のいい町のひとつ。折角、戦火を逃れたのに戦後、「もっとモダンな作りにしたい。」と古い家屋が取り壊される。この近代化の波に飲み込まれたケルン、フランクフルトなどでは、昔の家屋はほとんど残っていない。幸い、近代化の波に抵抗する市民も居て、随所にかっての古風な家屋が残っている。もっとも14世紀の建物の隣にモダンな建物が建っており、ミスマッチ。これがなければ世界遺産指定されたかもしれないのに、とっても残念だ。とは言え、ドナウ河畔と町の中心部だけはちゃんと古い建物を残しており、足を運んでみる価値はある。

町に正面から入るには、この橋を渡って入る。ゴールデンウイークの真っ最中なのに、日本人はゼロ、というか観光客はほんといない"geheim Tipp"(秘密の場所)的な存在だ。町のマスコットのコウノトリの彫刻が町の随所に建っている。ドナウ河畔にはランツベルクのような河川工事が施されており、四六時中、川の流れる音が聞こえる。河畔に建つ家屋が綺麗なので、吸い込まれるようにずんずんと歩いていきそうだが橋を渡らないで逆戻り、対岸から綺麗な家屋を眺めてみよう。写真中央部の綺麗な骸骨屋敷はは"Mühltörle"(水車門)という名前で「すでに14世紀には建っていた。」という。町の住人は、„Lichtenstein“の愛称で呼んでいる。この家屋は町が所有しており、休暇用のアパートとして貸し出されている。橋を渡って近くから見てみると、下が門になってるのでこの名前になっていることがわかる。その前にある建物も綺麗。

リヒテンシュタインの丘で記念写真を撮って、どっちにいくかしばし思案。写真中を左に行くと、すぐ先はもう町の中心部。時間があれば、遠回りして丘を下って水車門を通って歩いていこう。ここは水車を動かす"Mühlenkanal"(水車運河)が流れており、運河沿いに立ち並ぶ家屋が美しい。すぐ近くには見事な骸骨屋敷が建っているが、由来は不明。建物にはそれらしい説明はないし、町の観光案内を読んでも、それらしい記述が見つからない。ここから見える塔が、"Zellemeesturm"で、かってこの町は城壁で囲まれて数多くの塔が建っていたが、唯一、この塔だけが近代化の波を生き残った。再現された(子供だましの)城壁の横に階段があるので、登ってみると町の観光名所のひとつ、"Zwiefalter Tor"が見えてくる。そう、かってはここが町の入り口だったのだ。

門をくぐって町に入ってみよう。内側から見る門はとっても綺麗。このすぐ横に建つのがカトリック教会の"St. Georg"だ。教会の基礎には、かっての町の城壁が使われている。教会の横にあるのが司教の家、教会の対面に建っているのが女性の修道院"heiligen Kreuz"で、そのお隣が"Kaufhaus(デパート), Kornhaus"(穀物倉庫)として使用されていた建物で、今日は市役所として使用されている。ちょっと教会の裏も見てみよう。裏には"Kaplaneihaus"が建っている。簡単に言えば教会関係者の宿舎だ。向かいにはかっての小学校、„Altes Schulhaus“が建っている。16世紀は江戸時代の建造物だ。家の前にちょこんと建っている彫刻がかわいい。

市役所に戻って、いよいよ町の中心部に入ってみよう。そう、ここが中心だ。12世紀まではデンケルスビュールのように、広場を設けない町の作りが一般的だった。とは言え、銀行でさえこのような立派な作りなので、ガッカリする必要はない。中心部を飾るのは"Stadthaus"と呼ばれる17世紀建造の建造物で、かってはお給料のいい官僚の宿舎だった。ここに豚を抱えた"A Saufraid"と呼ばれる銅像が立っている。そう、かってここでは豚の取引が行われていた。この小さな教会のような建物がなんともかわいいが、これは15世紀に建造された屠殺場。このすぐ先に壁画が描かれているかっての修道院の別館が建っている。文献などから16世紀に建造されたと推定されている。建物の横の壁画はとりわけ立派で、入り口の紋章が時代と由来を語っている。

この細い通りの先に建っているのが、修道院に付属の病院で、その後は町の役所としても使用された。右手には、Schöne Stiege“と呼ばれる見事な骸骨屋敷が見える。「綺麗な階段」と呼ばれるこの建物は、16世紀の建造物で現在は博物館として使用されている。リードリンゲンの骸骨屋敷は、他の町と違い、地上階は石作り。ここは家畜や馬の飼育に利用されて、人はその上の階に住む様式になっている。実はこの先に"alte Kaserne"と呼ばれる見事な骸骨屋敷のかっての兵舎があるのだが、「何もなさそう。」と来た道を戻ってしまったので、写真が撮れず。

メイン通りに戻ると、すぐ先で道が3方向に分かれている。この分岐点に建っているのが"Wegscheiderhaus"で、Wegscheiderという名前の市長が17世紀に建築させた宮殿のような建物だ。その向かいにはかわいい骸骨屋敷も建っている。大きな骸骨屋敷が見えるこの方向に進んでみよう。この大きな骸骨屋敷は17世紀に建造された„zum Greifen“と呼ばれる居酒屋。現在も居酒屋として営業中だから凄い。かわいい家屋に感心しながら歩いていくと、"Gasthaus"(宿屋)兼飯屋が見えてくる。とっても歴史がありそうなのに町の観光案内に載っていないので、由来は不明。その先にあるこの骸骨屋敷は"Paradiesscheuer"と呼ばれ、向かいに建つ一膳飯屋兼宿屋の"Gasthaus Paradies"の物置だった。今日ではイタリア料理屋になっている。その先の小さな教会は正式には"Weilerkapelle"と呼ばれる礼拝堂だ。

脇道に入ると新しい家屋の横に昔の家屋や建造物が残っている。この立派な門はただの納屋への入り口なのに、ルネッサンス風の作りになっている。ドナウ河に向かって坂を下っていくと、かっての城壁の一部が見えてくる。城壁の内側からみるとただの民家です。"Wegscheiderhaus"の「交差点」を左に曲がると、出発点に戻って来れます。

日本のゴールデンウイークのど真ん中でしたが、アジア人の観光客はおろか、カメラを抱えて歩いている観光客は私だけ。町は小さいですが、見所はちゃんとあるし、行っても損はしません。もっともリードリンゲンでの観光に費やす時間よりも、リードリンゲンまで行く時間のほうがかかるのが、大きなネックです。誰も知らない観光名所をお探しの方にお勧めします。



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