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ドイツ&周辺諸国観光案内
Nördlingen

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街の紹介

「隕石が作ったクレーターの上に作られた町」として知られるネルトリンゲン。町の形が偶然丸いので、「クレーターに沿って町が建造された。」と勝手に勘違いしてしまいそうだが、クレーターの直径は24kmもある。街の直径は900mにも満たないので、クレーターに沿って町が作られたわけではない。「クレーターの中に作られた町」といえば誤解が減るのに、町は宣伝効果を考えて「クレーターの上に作られた町」と誤解しやすい言い方を好んでる。
誤解が解けたら、歴史を見ていこう。町の歴史はとっても古い。洞窟から石器時代の遺跡が見つかっている。紀元後1世紀にはローマ帝国がこの地域まで支配地域を広げ、駐屯地が置かれたのが集落から町への発展に繋がった。3世紀にゲルマン人の種族、アレマーネンが移動してくると、多勢に無勢、ローマ帝国は兵隊をこの地から撤退して、この地域はゲルマン化される。ネルトリンゲンが始めて書簡に登場するのは9世紀で、当時は„Nordilinga“と呼ばれていた。この地域はレーゲンスブルク大司教の支配下にあり、ゆっくりと成長、人口が増えるに従い市場が開かれるようになる。
13世紀に神聖ローマ帝国の皇帝、フリードリヒ2世から"Reichsstadt"に格上げされたことをきっかけに、町を守る城壁の建築が始まる。ネルトリンゲンにとって幸いしたのが、当時の主要な交易ルート、フランクフルトからアウグスブルク(アウグスブルクは当時はお金持ちの大都市)と、ニュルンベルク-ウルムが交差する絶妙な場所にあったこと。お陰で町は穀物、家畜、織物、皮、金属の交易の中心地として栄え始め、13世紀の書簡では、"Nördlinger Pfingstmesse"(ネルトリンゲンの見本市)として記載されるほど、交易、市場として大いに栄えた。お陰で人口が急激に増加したので、城壁の外にまで居城区が広がった。このため14世紀になると、今日まで残っている城壁の建設が始まる。町の象徴である"St.-Georgs-Kirche"の建設が始まったのも、14世紀のこの頃だ。
災いは17世紀にやってくる。プロテスタント派のネルトリンゲンは、カトリック連合軍(スウエ−デン+オーストリア)に2週間に渡って包囲される。「ネルトリンゲンを救え!」と救済にやってきたプロテスタント軍は、30年戦争中もっとも大きな戦闘として歴史に残る「ネルトリンゲン近郊の戦い」で敗北、ネルトリンゲンはカトリック軍に門戸を開くことを余儀なくされた。ただしお金持ちのネルトリンゲンは、高額の身代金をカトリック軍に支払うことができたお陰で略奪の災禍を逃れた。それでも長く続いた包囲戦、その後のペストなどで町の人口は半減した。その後に発生したスペイン王位継承戦争でも町は災禍に遭う。度々の戦火で交易のルートはネルトリンゲンを迂回するルートに変更され、ネルトリンゲンは歴史の舞台から姿を消すが、お陰で古い町並みや見事な城壁が今日まで残ることになった。第二次大戦末期になって空爆に遭い、"St.-Georgs-Kirche"は大きな被害を受けるが、古い家屋は奇跡的にわずかな被害で済み、現在では町の大事な観光資源になっている。

国道25号の封鎖(工事)が終了、アウグスブルクの自宅からは一時間で着いてしまった。走行距離75Km。流石、ロマンテイク街道。一時間で著名な観光地に行けてしまう。城壁の内部の駐車場は住民用。観光客は城壁の外の駐車場を利用しよう。外と言っても城壁に隣接されており、おまけに無料だ。そして駐車場の横には、町の見取り図と城壁への階段が設けられている。
屋根つきの14世紀の城壁が残っているのは、(ドイツでは)ここだけ。しばし歩いていくと、塔の一つが見えてくる。これは"Deininger Tor"で16世紀初頭に建造された。30年戦争ではカトリック軍が塔の内部に侵入したので、防御側によって塔に火が放たれてカトリック軍を押し戻したという歴史のある塔だ。次は"Berger Tor"で14世紀に建造されるも、15世紀に改築された。ここからウルムに向かう交易路が伸びていた。その先にあるのが"Löwenturm"で16世紀に大砲を設置する目的で建設された。その隣には、"Pulverturm"(火薬塔)が建っている。こちらは"Unterer Wasserturm"でその名のとおり町の生命線であるエガー川からの敵の侵入を防ぐ為、15世紀に建造された。こちらは"Reimlinger Tor"でネルトリンゲン最古の塔。この塔からアウグスブルクへの交易路が(当時は)走っていた。"Baldinger Tor"は14世紀に建造されたが、30年戦争中にこっぴどく痛められて170
3年に崩壊したものを1705年に再建された。この塔からはフランケン(ニュルンベルク)行きの交易路が伸びていた。
城壁から見る町の姿も綺麗だが、まさか延々2,6kmも城壁めぐりをするわけにも行かない。運よく車を近くに止めたらなら、"Unterer Wasserturm"の前後で城壁を降りて町の観光を始めよう。でも、何故ここから?それはネルトリンゲンはかってドイツ一の皮なめし商の町で、水路の周辺にはかっての皮なめし商の綺麗な家屋が建ちなんでいるからだ。水路の周辺には絵になる風景が広がり、今ではもう使われていないが水車が残っており、その先には見事な骸骨屋敷、"Fachwerkhaus"が見えてくる。これは"Winter'sches Haus"と呼ばれ、ネルトリンゲンを代表する骸骨屋敷だそうだ。周辺には綺麗な骸骨屋敷が建ち並び、ただの"Schune"(納屋、写真中左)でさえ、芸術作品のようだ。とりわけ有名なのがこの屋敷角度を変えて見ると、デカイ。滅多に見ることがない屋敷の形に感心。昔は家屋にまで個性があったんですね。
ここから中心部に歩いていくと、「あ、綺麗。」という建物がここにあそこに、あ、その先にも!と目白押しでなかなか先に進めない。有名なところだけでも紹介すると、これはかっての修道院。今は一部レストランとして使用されている。市庁舎の前には目が痛いほど輝くカフェ。春先にペイントを塗り替えたに違いない。その左手にある薬局もこれまた立派な骸骨屋敷。「これだけ綺麗な建物が並んでいるんだから市役所もさぞかし、、。」と期待していると、「えっ、これですか。」と肩透かし。聞けばネルトリンゲンの市役所は、市役所として建設されたものではなく、町のお金持ちが住む屋敷だった。お金持ちはこれをハイルブロンの修道院に売却、これをネルトリンゲンが月賦で購入したという。市役所は別名、"Steinhaus"(石の家)とも呼ばれ、とりわけその階段が有名だ。階段の下は牢屋としても使用されていたので、丈夫な扉がついている。そして壁には、"Nun sind Unser Zeiy."(これで俺たちは一緒)という文句が刻まれている。町の法律を破った人間はここで罰せられ、見せしめにされたそうだ。すなわちここで見せしめになることで、「俺とお前は一緒だよ。」と道化師が笑っているわけだ。その一方、ネルトリンゲンで結婚式を挙げると、この市庁舎の階段で記念写真を撮るのがしきたりだと、「35年前にここで結婚した。」という夫妻が教えてくれた。
市庁舎の横にある立派な建物は"Tanzhaus"(コンサートホール)だ。かって見本市がこの町で開催されると、ここで商人が品物を展示、そして宴会に使用されたという。もっとも前出のご夫妻居曰く、「俺が子供の頃は、学校の校舎の一部として使われていた。」そうだ。そしていよいよ今日の(肉体的)ハイライトが「ダニエル」の愛称で呼ばれる高さ90mの塔。建造されたのは15世紀。もっともお金がなくなり、塔の天辺は未完成で終わっていた。ここに雷が落ちたことをお告げと勘違いした住人は、16世紀に塔を完成させた。中世の頃は、昼夜、押し寄せてくる敵軍を早期発見するため見張りが陣取っていた。今では入場料を取るおじさんが一人で頂上で頑張っている。入場料は3.50ユーロ。ちょっと高い気もするが、滅多に来ないし、駐車場はタダなので思い切って上ろう。途中でひざが笑い出しますが、天辺からの見晴らしは絶景。かって隕石が落ちて出来たクレーターが、ここからよく見渡せる。
塔から降りたら教会前に建っている"Kriegerbrunnen"(兵士の噴水)も見ていこう。15世紀にこの場所に噴水が建設されていたが、20世紀、プロイセンがフランスに戦争で勝った記念に新しく作り直された。塔の先を右に折れると、これまた見事な骸骨屋敷が見えてきた。その際にも立派な家屋が立ち並び、休めるチャンスがない。気が付けば4時間半も歩き回って、足の指先が内出血して痛くてそろそろ限界。この辺で打ち切って駐車場に向かって歩き出すと、真っ赤な建物が見えてきた。"Alte Schranne"でかっての穀物倉庫だ。城壁に沿って歩いていくと、城壁にこびりついた家屋が目に付く。かって兵隊の家屋だ。その先にあるのは"Münzhaus"(コインの家)だ。15世紀の建造物(16世紀に今の形に改装)で、16世紀にアウグスブルクのコイン職人が購入したのでこの名前が付いた。「この先を左に曲がれば駐車場。」だったのに、「あ、ここにも綺麗な建物が。」とフラフラと歩き出すと、ダニエルに日が当たり絶好のシャッターチャンス。又、市内まで戻って"St.-Georgs-Kirche"をこれを最後に見納め、やっと駐車場にたどり着くと17時。着いたのが12時だったので、なんと5時間も不眠不休の行軍なり〜。

ネット上で「ネルトリンゲン」とぐぐると、出てくるのは10数年前の古い写真。これを見る限り、綺麗な町とは到底思えない。最近の写真が載っていても綺麗な写真はほぼ皆無で、「行ってもガッカリかな?」と期待していなかったお陰で、町を見たときの感激は大きかった。「こんなに綺麗な町がこんな近くにあったのか。」と少し得した気分。もっとも上述のご夫妻曰く、「昔はこんなに綺麗じゃなかった。」との事。周囲の有名観光名所に負けないように、綺麗に"herausgeputzt"(お色直し)して、観光客にアピールしている様子。そのお陰で、10年、20年前には見ることができなかった綺麗な町を堪能することができる。それでも町のあちこちでまだ修復中の骸骨屋敷が目に付いた。その修復方法も面白い。まずは骸骨だけにするんですね。来年いけば、これらの家屋も修復が終わってもっと綺麗かも?もっともネルトリンゲンはバイエルン州とお隣のバーデン ヴルテムベルク州との境にあり、アウグスブルクに住んでいない人には(住んでる人は滅多にいない)、アクセスがよろしくない。ミュンヘンからだと北西に150km、電車でも車でも2時間程度の距離にあります。そうそう。"Harburg"の城砦が見える頃から、国道は童話に出てくるような田舎道を走ります。車で行かれる方は、"Harburg"の看板が見えてきたら、カメラを抱えてシャッターチャンスを待とう!



ネルトリンゲンまでの送迎はこちらをご覧ください。



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