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ドイツ&周辺諸国観光案内
Esslingen am Necker

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街の紹介

シュバーベンの州都、シュトゥットガルトからわずか10数キロところに、"Esslingen am Necker"という町がある。人口は9万人。「聞いた事ない。」という方が圧倒的だが、ドイツ最古の"Fachwerkhäuser"が残っている町として有名で、"Fachwerkhäuser"ではゲッテインゲンと並ぶ観光名所だ。
まずは歴史から。紀元前1000年の石器時代の居住跡が見つかっているので、昔から居住に適した土地だったようだ。1世紀なるとローマ帝国はライン川を越えて拡大、この地域を支配下に置いた。ゲルマン民族の大移動でこの地方にやってきたのは、4大民族のひとつ、アレマーネンだ。6世紀になると西からゲルマン民族のフランケン王国が勢力を拡大してきて、8世紀には完全にMerowinger朝の支配下に入る。9世紀の書簡で始めてこの町に関しての記述があり、"Hetsilinga"という名前で呼ばれいる。これに町(村)を表記する(日本で言えば○○町に相当)"-lingen"がついて、現在の町の名前、エスリンゲンになったと言われている。
12世紀、神聖ローマ帝国の皇帝バルバロサがこの地に皇帝の命令を遂行する官僚を派遣、その後、"Reichslandstadt"に昇進する。この称号は自治権を許された町に与えられるもので、土地の権力者ではなく、直接、皇帝から町の治世を任される。この地はもともとキリスト教徒の聖人が埋葬されている巡礼地として発展を始めたが、13世紀にはライヒススタットにふさわしい"St. Dionys"教会がフリードリヒ2世によって寄贈(建立)される。15世紀にはこの町で"Reichstag"が開かれるなど、エスリンゲンは当時はとても有名な町だった。
エスリンゲンは13世紀からその後200年以上にわたって、"Würtemberg家"との絶え間ない争に巻き込まれる。もともとは神聖ローマ帝国の一領主だったヴュルテムベルク家は支配地域の拡大を目指して、神聖ローマ帝国の支配家、"Staufer"と小競り合いを繰り返す。エッスリンゲンはライヒススタットだったので、皇帝、すなわちシュタウファー家側についたのが、シュトゥットガルトに居城を置くヴュルテムベルク家にとっては目の上のたんこぶ。エスリンゲンは何度か占領されるが、16世紀の最後の戦いではシュバーベン同盟に加わったエスリンゲンに敗北して、ヴュルテムベルク家は亡命する羽目になる。
プロテスタントが信仰地域を広げ始めると、エスリンゲンでもカトリック教徒とプロテスタント教徒の間で「俺の方が正しい。」と争いになる。エスリンゲンではプロテスタント派が主導権を取るが、これが原因でカトリックのオーストリア軍に侵攻されて、町は再びカトリック教徒の町になる。16世紀にアウグスブルクの和議が結ばれてから、プロテスタント派も許されることになる。30年戦争では近郊で行われた戦いで12000人もの難民が流れ込み、さらにはペストが発生、人口は半分にまで激減する。
17世紀にはフランス軍がやってきて町を占領、18世紀初頭には大火事で中心部は焼け落ちてしまう。この機会に焼け落ちた中心部はバロック様式で再現される。その境界線は今日でも町の中心部で見ることができる。一方は"Fachwerkhäuser"の家屋が並び、そのすぐ後ろにはバロック式に建築物が並んでいる。第二次大戦では歴史上貴重な家屋が破壊されたが、幸い、被害はそれほど大きくなく、完全に焼失した家屋を除き、かっての姿で再建されたので、美しい家屋を鑑賞することができる。
アウグスブルクからエスリンゲンまで155km、渋滞込みで2時間の距離にある。渋滞がなければ1時間40分。しかしウルムから延々60Kmも工事中。渋滞は避けられない。運が悪いと渋滞で事故が発生、渋滞はさらに長くなる。工事が終了する(予定の)2017年9月までこのルートは鬼門だ。「中心部の駐車場は一杯に違いない。」と町外れの駐車スペースに車を止めて車を降りると、いきなり大声で携帯に話している日本人に遭遇。そう、エスリンゲンには日本の会社、"Citizen"がある。時計ではなく、工作機械の方だ。それ以外には日本人の姿はなし。唯一、中国人のカップルが教会の影で休んでいただけ。ドイツの夏休みにもかかわらず、ドイツ人の観光客の姿も少ない。町の中心部"Marktplatz"の駐車場には、空きがあったので、車でこられる際は町の中心部までやってきて、周回していれば駐車場は用意に見つかる(筈だ)。
渋滞を避けて電車で来ると、右手(立つ方向により左手)に"Pliensauturm"が見えてくる。まずはここから見ていこう。かってはここが町の南端で、町は城壁に囲まれていた。この塔を背にしてまっすぐ歩いていけば中心部にいける。まもなく有名な"Die Hochwacht"(警戒塔)が丘の上に見えてくる。近辺からの侵略が絶え間なかった頃は、この塔で敵軍の進軍を監視していた。その先にある古風な家屋は、なんとスターバックス!。人口がエスリンゲンの3倍近くあるアウグスブルクにないのに、なんでエスリンゲンに?喜ぶべきなのか、悔しむべきなのか思案している間もなく、あっという間に市内の中心部の最初の観光名所、"Die Innere Brücke"が見えてくる。写真中の"Nikolaus Kapelle"は13世紀の建造物で、町のもっとも古い建造物のひとつだ。橋とは言うものの、川の上にかかっている部分は一部だけ。だから内側"Innere"、すなわち内陸部の橋と呼ばれている。
橋を降りて直進すると小さな噴水が見えてくる。その先の道は左と右に分岐しているので、左に折れると見事な"Fachwerkhaus"(骸骨建造物)が見えてくる。これが町の象徴になっている"Das Alte Rathaus"(旧市庁舎)のお尻の部分。15世紀に建てられたこの市役所は、ただの骸骨建造物ではなく、"alemannischen Fachwerkbaus"としてとりわけ貴重なもので、ドイツにはネルトリンゲンとここにしか残っていない。とっても見事な作りなので一周してみよう。正面はお化粧されて綺麗だが、横から見ても立派なもの。噴水の前のは、"Reichsstadt"の象徴だ。8時、12時、15時、それに18時は24の鐘が奏でる演奏を聴くことができる。
その向かいの新市庁舎は18世紀に建造されたもの。新市役所の左手にはこれまた見事な"Fachwerkhaus"が軒を連ねている。ここが"Marktplatz"(市場)なので、平日に来ると大賑わいだ。真ん中のとりわけ大きくて立派な建物は"Spitalkelter"でかっての病院("Spital")の別棟だった。ここで果汁を絞っていた("Kelter")ので、この名前が付いている。16世紀に建造されたが、焼け落ちたので18世紀に再建されている。ここから見える教会が"Frauenkirche"だ。14世紀に建築が始まり、16世紀に完成した。丘の上にあるので火事の被害にも遭わなかった。「もっといいアングルはないものか?」と汗をかきながら丘の上まで上ってみましたが、なし。市場から撮るのが一番です。ここまで来たら、覚悟を決めて城壁の上まで上ってみよう。城壁の長〜い階段への入り口は、この建物の先(右側)にある。半端じゃない階段を昇っていくと、白髪の70代のドイツ人のおばあちゃんが降りてくる。ドイツ人は若くてもほぼ肥満体系だが、健康な人は驚くほど健康だ。時々階段から身の乗り出して「頂上」を確認。やっと着いた〜。観光客で一杯かと思いきや、全然空いてます。見晴らしも「絶景」とはいきませんが、十分に綺麗です。
記念写真を撮って一息ついたら、"Dicke Turm"(太い塔)を見に行こう。現時点では見張り塔からの通路が封鎖されているので、階段を少し下りて、城壁沿いに歩いていく。 この城壁の分厚いこと。ハイデルベルクの城を見学された方は、破壊された塔を見ただろうが、エスリンゲンにくると完全な形で残っている塔と城壁を見ることができる。城壁の中にはさらに見晴台が作られている。見晴台は押し寄せる敵軍を狙って砲撃するには最適の場所。史跡とは関係ないが、エスリンゲンの町を見下すお金持ちが住む高級アパート郡が恨めしい。
城壁を見終えたら、もう一度"Marktplatz"に戻り、エスリンゲンの有名な水路を見に行こう。かって皮なめし商があった場所は、綺麗な喫茶店&レストランになっている。粋な"Speisekarte"(メニュー)が泣かせる。その先には"das Schelztor"がある。建造は13世紀で、日本で言えば鎌倉幕府の頃の建造物だ。この塔は駅の近くにあった"Pliensauturm"とかっては城壁で結ばれており、かってはここに"Tor"(門)があったので、実際には塔なのにシェルツ門と呼ばれる。興味があれば水路沿いに歩いてみよう。次第に水路は狭くなり、流れが速くなると水車が3台設置されて勢いよく回っている。
すでに観光を始めてから3時間半。要水分の補給。綺麗な喫茶店は満席だったのでスターバックスで一休み。元気を取り戻してから町の外れにある"Das Wolfstor"まで。この塔(門)は、残存している塔の中で最も古いもので、シュタウファー家の紋章である二匹のライオンが飾られている。ここまで来たら、"Die Kupfergasse"も見ていこう。15〜16世紀に建造された見事な"Fachwerkhaus"が建っている。町の中心部は何処を向いても史跡が所狭しと並んでおり、どっちに行けばいいのかわからない。旧市役所の左手に狭い"Gasse"があり、その先にはこれまた見事な14世紀の"Fachwerkhaus"が並ぶ"Hafenmarkt"がある。写真中左側の建物は、ドイツ最古の"Fachwerkhaus"だそうだ。
丘の上まで登って、城壁も見て回るとたっぷり4時間かかりました。見所が多すぎて、「行って見ればわかる。」と駐車場の場所だけチェックしていくと、「あっつ、ここ見なかった。」という場所が出てきます。こちらから地図、あるいはアップをダウンロード、見ておきたい史跡をチェックしてから行こう。


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