Pfadfinder24
ドイツ留学なら、ドイツのエキスパートPFADFINDER24にお任せ!
   お申し込み    お問い合わせ    会社案内    利用規約    サイトマップ
ドイツ&周辺諸国観光案内
Donauwörth

> ドイツ&周辺諸国観光案内 INDEX
  
街の紹介

「ドナウ何?」と聞かずにはおられない、日本人には発音不可能な名前の町。どんなに頑張ってもドイツ人には通じないので、最初からあきらめよう。無理やり日本語で書くなら、ドナウヴェアト。「ドナウヴェルトじゃないですか。」とおっしゃる方もおられるが、ヴェルトは"welt"と書く。すなわちドナウヴェルトだと「ドナウの世界」という意味になり、ドイツ人は「一体、何が言いたいの?」と目を丸める。日本では"r"は「ル」と発音すると学校で間違って習うのが原因だ。しかし実際は"wir"のように「ア」と発音するほうが多い。例外はオーストリア。オーストリアでは「ヴィール」とも発音するが、この町はドイツの町なのでドナウヴェルトではなく、ドナウヴェアトが正しい。皆まで言えば16世紀まで町の名前は、"werd"と表記された。その後、"wörth"と改名されたので、素直にヴェアトと読んであげよう。

名前の謎が解けたら、町の歴史を見てみよう。995年、今日のアウグスブルクの南で「天下分け目」の決戦、"Schlacht auf dem Lechfeld" (レヒフェルトの決戦)があった。伝説によれば数万人の巨大な軍を抱えるハンガリー帝国がドイツ領内に侵入、略奪を繰り返しながら怒涛の勢いで支配地域を広げていった。当時、軍隊といえばせいぜい数千人だったので、ドイツの地方都市にはこの巨大な軍に抵抗する手立てはなかった。巨大なハンガリー軍はようやくアウグスブルク要塞の前で停止、アウグスブルクを包囲してまさにアウグスブルクに襲い掛かろうとしていた。ここに救済にやってきたのが東フランク帝国の皇帝、オットー一世だ。ハンガリー帝国はオットー一世に使者を送り、フランク帝国に侵入する意図がないことを誓ったが、この使者が帰るや否やすぐに進軍を開始、こうしてオットー一世率いる寄せ集めの軍1万余りが、ハンガリーの大軍とアウグスブルクの南で決戦を挑むことになった。圧倒的な優勢を誇るハンガリー軍の前でオットー一世の軍隊は苦戦、次々に指揮官をハンガリー軍の複合弓の犠牲になって失う。ここで「神風」が吹く。夏の空がいきなり真っ暗になり、豪雨に見舞われると複合弓の接着部分が剥がれて、役に立たなくなる。この機会にオットー一世の装甲騎士がハンガリー軍に襲い掛かると、ハンガリー軍は大きな被害を受けて、退却を始める。しかし雨で膨れ上がったレヒ河が渡河を阻み、立ち往生している所をオットー一世率いる連合軍に壊滅される。この戦いの後、ドイツはオットー一世の下に統一されて、神聖ローマ帝国が樹立され、オットー一世はオットー大帝としてその王座に君臨することになる。
この天下分け目の戦いに備えて、ドナウ河を渡る橋がかけられて、 "Burg Mangoldstein§(マンゴルドシュタイン要塞)が建設される。これがドナウヴェアトの町が建設されるきっかけになる。13世紀に町は当時の支配者シュタウファー家から、バイエルン公爵に売却される。14世紀には"Reichsstadt"に昇格、神聖ローマ帝国の直属の治世を受ける町になる。その後、戦略上重要な拠点にあるこの町、当時は"Schwäbischwerd"と呼ばれていた、を巡ってオーストリアのハープスブルク家、スウエーデン軍、バイエルン軍との間で何度も戦闘が繰り返される。18世紀にバイエルン軍が北連合軍に敗北してからこの町はバーデン家の支配下にあったが、アウグスブルク同様、ナポレオン戦争の結果、ドナウヴェアトはバイエルン州に割譲されて、今日に至っている。
第二次大戦中、ちいさなこの町はほとんど被害を受けていなかったが、米軍の進軍に備えて1945年4月、戦争終結の2週間前に大規模な空襲があり、街の中心部は壊滅的なを受ける。幸いなことに焼け落ちた町並みは(町の中心部に限られるが)復興され、かっての"Reichsstadt"の姿を垣間見ることができる。

ドナウヴェアトはロマンチック街道の隠れた見所。人口は1万8千人。アウグスブルク(29万人)のような大きさはないし、ネルトリンゲンのように町自体が史跡というわけではない。それでもそこそこ見所があり、これが小さな町の中にあるので3時間もあれば歩いて見て回れるのがこの町の魅力だ。まずはこの町の一番の見所の"Reichsstraße"から始めよう。かっては南ドイツのシルクロード、アウグスブルクとニュルンベルクを結ぶ、神聖ローマ帝国の街道だったので、"Reichs(帝国)"Straße"(街道)と呼ばれている。この通りは坂道になっているが、一番高い場所に建っている「ぎざぎざの建物」は、"Fuggerhaus"(フッガー屋敷)だ。16世紀、お金持ちのフッガーは神聖ローマ帝国の"Reichspfleger"(代理人)となり、この町の実質上の権力者になった。その権力を誇示するために作られた宮殿のような建物だ。現在では町議会として利用されている。少し坂道を下った先には町の自慢の"Liebfrauenmünster"が建っている。15世紀に建立されたこの教会(塔)は、ネルトリンゲンのミヒャエルには負けるが、この教会からの見晴らしはすばらしい。元気があれば塔の上まで上ってみよう。塔の向かいには、"Reichsstadtbrunnen"という噴水がある。古いものでなく、20世紀に建造された。モチーフは町がシュタウファー家の支配下にあった頃の紋章 の鷲だ。
通りの中ほどにあるのが"Tanzhaus"で、14世紀に建築された。その名の通り、かってはここで踊りが上演されて、宴会が引かれた。16世紀からは穀物倉庫として使用されたがスペイン王位継承戦争、それに第二次大戦で消失したが、1975年に再建された。隣の建物は"Stadtkommandantenhaus"(町の指揮官の家)で、マキシミリアン王の后が住んでいた。なんで奥さんを数百キロも離れたこの町に住まわせたのだろう。この通りにある最古の家屋が"Cafe Engel"(写真中、中ほど。薄い緑色の建物)で、建造は13世紀、かっては町の歌手が住んでいた。現在は改修中で空き家になっている。通りの端っこには綺麗な骸骨屋敷、"Baudrexlhaus"が建っている。向かいにあるのが市役所で、最初に建設されたのは13世紀。その後、何度か消失したがその度に再建され、また大きくなり、現在の姿になったのは19世紀。
通りを下ってくと、かっての町への入り口になっていた"Rieder Tor"が見えてくる。こんな小さな町なのに、立派過ぎる。流石は"Reichsstadt"だ。この門から昔の城壁が延びているで、お堀に沿って少し歩いてみよう。この城壁の「外」にあたる部分は実は中洲になっている。門の周辺にはカフェが連なっており、滅多に来ない観光客と地元民の憩いの場だ。お堀に沿って歩き出すと、「真っ赤」な家が見えてくる。これは"Hintermeierhaus"と呼ばれているが、早い話、かっての漁師の家。15世紀に建造された。中世の漁師というと貧乏なイメージがあるが、なんという立派な家だろう。現時は町の博物館として利用されている。城壁に沿って薔薇や「その他の花」が咲いており、とっても綺麗だ。観光に行くならやっぱり夏。その先には綺麗に修復された"Färbertörl"という塔が建っている。
ここでお堀を渡って市内の方向に戻ることもできるが、元気があればもうちょっと先まで歩くと、"Klosteranlage Heilig Kreuz"が見えてくる。この馬鹿でかい建物は、12世紀に建造された修道院だ。ここでひとつクイズ。この修道院の隣にある要塞のような建物、もとい、かっての要塞は、今、何に使われてるでしょう。答えはこちら来た道を戻り、中洲をチェックしてみよう。ここに石作りの高層ビル(6階建て)の建物がある筈だが、「あ、この建物綺麗。」と写真に気をとられていたら、気がつかず通り過ぎてしまった。まで来たので、これでドナウヴェアトの主要観光名所はこれでおしまい。ではつまらないので、町の周囲を巡って残っている城壁を探してみよう。
「あ、ドナウ河」と思ってしまうそうだが、実は
"Wörnitz"だ。河に沿って市内方向に戻ると、「あ、発見。」駐車場の片隅に城壁が。まるで日本のお城の城壁のよう。この道は"Promenade"(散歩道)という名前が付いている。しばらく歩いていくとシュールな彫刻が。ドナウヴェアトは芸術に力を入れているので、あちこちにシュールな彫刻、銅像が建っている。あ、"Ochsentörl"(牛塔)が見えてきた。塔をくぐると"Alte Kanzlei"の立派な建物、その先には昔の関税局、 そして左手には市役所が見えてきます。帝国街道はもう見たので、その裏の通りを歩いてみると、あら綺麗。赤と白は目が刺さる。塔をくぐってまた散歩道に戻ると、先に"Mangoldfelsen"が見えてきた。ここにかってのマンゴルドシュタイン要塞が建っていた。城砦の一部は今日でも見る事ができる。建造は10世紀なので、1000年物だ。その先の見晴らし塔は、ネルトリンゲンで見たものとそっくり。
城壁はここで切れており、「これで終わりかな?」と思っていると、先に兵舎が見えてきた。正確には兵隊用の病院です。どう見ても私有地。勝手に入ってもいいのかな?観光客が勝手に庭に入ってきて、「パシャ パシャ」と写真を撮ったら、日本人でも怒りますよね。そこで玄関先から一枚だけ廃墟になりかけている古い家屋の奥に、どうみても新築されたとしか見えない城壁が見える。城壁を追っていくと、「あ、見つけた〜。」。これが最後の塔(の筈)。塔にからまりつくように咲いている薔薇が美しい。見上げると、青い空と薔薇の緑と赤が映えます。この塔のお隣はフッガー屋敷なので、これでちょうど町を一周したことになる。町議会の壁にはしっかりと葡萄が育ってました。かれこれ3時間も歩き回っていたので、ふくらはぎが吊り始めそろそろ限界。しかし太陽の位置が変わって、帝国街道はまた違った雰囲気に。足をひきづりながら街道をもう一周。もう限界。ミュンスターのすぐ近くの駐車場に戻り清算すると、たったの1.50ユーロ。安〜い。デユッセルドルフのAltstadtの駐車場は1時間で5ユーロ!同じAltstadtでも大きな違い。
ドナウヴェアトはアウグスブルクの自宅から50km少々(道に迷わなければ)。40分ほどで行ける史跡を残す小奇麗な町。ロマンチック街道に載っているのも納得。アウグスブルクから電車で行っても30〜40分。半日で行ってこれる観光地をお探しでしたら、ぴったりです。滞在中、見かけた観光客(カメラを抱えているかどうかで判断)の数は片手で数えられる程度。日本人、中国人もゼロ。隠れた穴場です。


ドナウヴェアトまでの送迎はこちらをご覧ください。



> ドイツ&周辺諸国観光案内 INDEX

(c)Pfadfinder24   > HOME   > お申し込み   > お問い合わせ   > 会社案内   > 利用規約   > サイトマップ