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ドイツ&周辺諸国観光案内
Dinkelsbühl

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街の紹介

「中世の趣を残している町」として有名なディンケルスビュール。日本語でディンケンスユールと表記されていることもあるが、"Buehl"はどんなに頑張ってもユールとは読めない。素直に、「ビュール」と呼んであげよう。覚え難い町の名前の期限はわかっていない。町の名前が最初に登場している文献では、"Burgus tinkelspuhel" と書かれており、それがどうして"Dinkelsbühl"になったのか、いろんな推測がされている。中には、"Dinkelbauer"という人が町の発起人で、その人にちなんで名前が付けられたいう説もありますが、ハンバークはドイツのハンブルクが起源説と同じく、根拠のない伝説です。
この町が歴史に残ることになったのは、シュタウファー家とヴェルフェン家のドイツの覇権を巡る争いが原因だ。シュタウファー家はヴェルフェン家との戦に備えて、地形上防御しやすいこの集落を城壁で囲い、城塞都市に仕立て上げた。ちなみに「お隣」のローテンブルクが城塞都市になったのは13世紀だが、こちらは12世紀でローテンブルクよりも古い。12世紀の城塞都市の特徴として、ローテンブルクの有名な市庁舎前の大きな広場(市場として使われる)はなく、じょうご型の道路/広場があるのみだ。当時は需要に応じて町を好きな方向に拡大でき、中心部を移さないで済む、このような街作りが一般的だった。ちょうどLandshutも同じような町の作りになっている。
この町は14〜15世紀に経済的な最盛期を迎えた。お金持ちになると敵の侵入を妨げる城壁や展望用の塔、さらには町の象徴になっているSt.-Georgs-Kircheなどが建設され、今日、観ることができる町の姿になった。
アウグスブルクから車で向かうと、ドイツ観光協会のヒット商品、ロマンチック街道を走るので、Donauwörth, Harburg城、それに"Nördlingen"などの観光名所の看板が出ている。寄り道をしないと、のどかな景色を眺めながら国道と県道を延々と走って、1時間半で行ける。街中には駐車場が少ないので、城壁の外にある駐車場を利用しよう。無料で終日駐車できてしまう。ナビーゲーションに、"Mönchsrother Str.3"と打ち込めば、外壁のすぐ外にある無料駐車場まで行ける。
駐車場から見えるのが、"Nördlinger Tor"。塔の隣の建物は、水力を利用した製粉機が入っている"Mühle"だ。すでにこの塔の向こう側から古風な家屋が見て取れる。このまま風情のある家屋を見ながら直進するのが、この町の短い観光コース。所要時間は2時間少々。「折角、日本から来たんだ。全部観て行きたい。」という人は、城壁を越えてすぐに左折すると城壁に沿って街を1周できます。
観光地らしく給水場、それに店の看板は日本のネオンサインと違って、景観を壊さないように豪華で手の込んだ物が多い。こちらは立派なホテルの看板で、これはバウムクーヘン(バームクーヘンではありません。)のケーキ屋だ。中世は識字力が低かったので、こうした看板で客の注意を引いたのだ。ではこの看板は何の店でしょう。回答はこちら。400mほど歩くと町の中心部が見えてくる。でもまだ中心部には向かわないで、手前で右折して、"Wörnitztor"を観ていこう。この塔はシュタイウフェン家がこの町の領主だった14世紀に建造された。その後何度も改築されて、今の形なったのは16世紀。ここ数年でペンキも何度か塗り替えられたので、数年前の写真を見ると、「え、違うでしょ?」と思ってしまう。塔の前には立派な噴水が、すでに冬支度がされていた。夏に訪れると、噴水と塔の観光写真が撮れたのに残念。
来た道を戻ると、そこが町の「中心部」"Weinmakt"(ワイン市場)だ。中心部と言っても、上述の通り広場/市場があるわけでない。角の真っ赤な建物は"Gustav-Adolf-Haus"と呼ばれている。30年戦争中、この町を占領したスウエーデン軍の将軍が、歌を歌いながら歩いている子供に情が移って、町の略奪を禁止した。以来、この将軍が宿泊した宿をこの名前で呼んでいる。真ん中に建っているのは"Deutsches Haus"(ドイツの家)と呼ばれている。かっての町の権力者が16世紀に建造させた骸骨屋敷で、ルネッサンス後期の最高の傑作と言われている。現在は高級レストラン&ホテルとして使用されている。その向かいも多くの立派な建物が立ち並んでいる。ここで右折して「中心部」を見てみよう。「この靴では石畳は歩きにくいわ。」と苦情が出てきたら、馬車に乗せて黙らせよう。40分かけて町を一周してくれる。観光ガイド付き。言うまでもなくドイツ語。大人は8ユーロ。子供は半額です。
あちこちの建物から垂れ下がっている垂れ幕には、"Fischerntewoche"と書かれている。「何て長い単語なんだ!」と苦情の一つも言いたくなるが、"Fisch"(魚)、"Ernte"(収穫)"Woche"(週)の3単語から勝手に作った造語。辞書を引いても(多分)出ていません。厳しい冬に備えてたっぷり太った魚をこの時期に採って(収穫して)食べるのがドイツの習慣で、クリスマスケーキではなく、"Weihnachtskarpfen"(クリスマス鯉)を食べます。ちゃんと辞書にも載ってます。
このメインストリートから左に細い"Gasse"(小道)が分岐している。折角なので曲がってみると、ここにも小奇麗な家屋が並んでいる。メインストリートに戻って真っ直ぐ歩いていくと城壁と"Rothenburger Torturm"が見えてくる。この塔は牢屋と拷問部屋が設けられている物騒な建物だ。魔女裁判が盛んな中世には、無実の女性(わずかに男性も)ここで拷問を受けて殺害された。
行き止まりの道を戻ってくると、右手に"Gewürzstrasse"が見えてくる。元々は、香辛料を売っている店が並んでいたらしのだが、路上には香辛料よりも、服やインビス(軽食)を売る露店が並んでいる。チーズ好きでない限り、日本人に欲しいものは少ないが、"Fachwerkhaus"(骨組みのように木枠が見える家屋)が美しい。この通りは、この町のもうひとつのメインストリート、Segringer Straßeへ繋がっているので、交差点に立つと右手にSegringer Torが見えてくる。一目でわかる通り、この塔はてっぺんにたまねぎが乗っており、他の塔と建築様式が違う。スウェーデン軍の攻撃により塔が崩壊したので、15世紀にイタリア人の建築技師のデザインで再建されたため、他の塔とは異なる様式になっている。
Segringer Straßeを下ると先に教会が見えてくる。この道を直進すれば、駐車場まで戻れる。「まだ何も食べていないわ。」と苦情が出たら、最寄のパン屋でこの地方の名産、"Schneeball"(雪玉)を買ってあげよう。久しぶりに食べると、期待していなかったせいか、それとも朝食も食べずに昼過ぎまで歩き回ったせいか、そこそこおいしかった。「おしくないわ。」と苦情が出たら、おにぎりでも買ってあげよう。お土産屋では、こんなワインも販売されていました。
短いコースなら3時間少々で観て回れるので、この町は半日観光にはぴったりです。不思議なことに日本人の姿は一人も見かけませんでした。日本人はお隣のローテンブルクに大挙して訪れている様子です。この街はバイエルン州にあるものの、お隣のバーデンヴュルテムベルク州との境に位置している。早い話が交通の便が悪く、ミュンヘンからは3時間、フランクフルトから電車を乗り継いで4時間もかかるのがネックで、日本人はあまり訪れないようだ。


ディンケルスビュールまでの送迎はこちらをご覧ください。


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