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ドイツ&周辺諸国観光案内
Biberach an der Riß

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街の紹介

"Biberach"。てっきり「ビーベラッハ」と読むのかと思っていたら、ドイツ人は「ビーバラッハ」と読んでます。「いや、そんな筈はない。」と抵抗せず、ドイツ人の呼び方を真似しましょう。"an der Riß"が付いて「リース河畔のビーバラッハ」というのが正式名称だ。この町はバーデン ヴュルテムベルク州の東の端にある人口3万人程度の小さな町。ミュンヘンから見ると地図中「左」、すなわち西にあり、その距離152Km。アウグスブルクから車で行くとまずはウルム向かい、ここから南に下る。どちらからでもほぼ同じ距離で、法廷速度を守って走れば所要時間は1時40分程。

おかしな町の名前を聞くと、「ビーバーが小川(Bach)に住んでいた。」なんて調べもしないで勝手に想像して主張する人がいるが、事実とは関係ない。ケルト人が住んでいた町には似たような名前の町があるので、ケルト人がつけた町の名前が起源という人がいるが、ケルト人が住んでいた証拠がない。河が二股に分かれているので、"Bi"(ふたつ)と"aha "(水)が一緒になって、名前になったと主張する人もいるが証拠はない。町の名前は13世紀の書簡に始めて登場、そこには"Biberaha"と書かれていた。そう、これが理由でビーベラッハではなく、ビーバラッハと読むのだ。納得〜。

13世紀に"Reichsstadt"に昇進、関税を課す権利を与えられて、次第に豊かになっていく。ビーバラッハが本当に豊かになったのは14世紀。この町で織られた織物が人気になり、欧州中の市場で取引されるようになる。この需要を満たすため、織物を縫う家屋が多く建造され、今日でもその姿を偲ぶ事ができる。

30年戦争ではまずはプロテスタントのスウエーデン軍に占領される。カトリック教徒のオーストリアが軍を進めてビーバラッハを奪取しようとするが、町は要害化されており、散々な被害を蒙って撤退する。オーストリア軍は、プロテスタント軍がコンスタンツを奪取しようと軍を南に進めた間隙を利用、ビーバラッハに再度軍を進軍させて、防御の手薄な町をまんまと占領する。30年戦争を終結させた条約では、「ビーバラッハではカトリックとプロテスタントの両方の宗派を認める。」となり、今日に至っている。戦後、町はまずはバーデン家の支配下に入るが、ヴュルテムベルク家との領土交換でヴュルテムベルク家の支配下に移る。ヴュルテムベルク家はビーバラッハとその近郊をビーバラッハ上等区(今の日本で言えば県)に指定、ビーバラッハは県庁所在地として、政治的な役割を担うことになった。

ビーバラッハの観光名所は中心部の"Marktplatz"(市場)に集中している。時間がなければ、ここだけ見て帰るのもあり。"St Martin"教会"Bürgerhaus"(市民の家)と呼ばれるかっての裕福な市民の家、そして新市庁舎織り成す景観だ。市庁舎はまるでお城のよう。広場の動画も撮ってきましたので、こちらでご覧いただけます。この広場の片隅に""Des Esels Schatten"(ロバの影)と呼ばれる有名な「彫刻」が立っている。その昔、ある人がロバを借りて運送を始めたものの、昼間の暑さで仕事を続けられず、ロバの影で一休みしようとした。するとロバの持ち主がやってきて、「君が借りたのはロバであって、ロバの影じゃないよ。影を使うなら、その料金を払え。」と主張、裁判所で争うことになったという逸話だ。これを風刺した見事な彫刻だ。

この角度からは見えないが、教会の裏に見事な市民の家が建っている。地上階はカフェとして使用されており、天気のいい場所は座る場所がないほどの大盛況だ。たった人口3万人の町なのに。観光先で見つけ難いのがトイレ。ビーバラッハの唯一の公衆トイレは、教会の横、この歴史的な建造物の中。トイレの横に建っている改装中で空き家となっているこの家も、先のカフェみたいに見事に修復されるのだろうか。用を足して市場に戻ると、見事な市民の家が並んでいる。こちらの骸骨屋敷はなんと60mもの長さで、これまで見た中で最長。"Untere Schranne"という名前なので、倉庫として建造されたようだ。同じく広場に建ってるこちらの屋敷は、"Kleeblatthaus"と呼ばれる14世紀の建造物。
この通りを下っていくと、"Salzstadel"(塩倉庫)が見えてくる(左側の建物)。この先がかっての町の境界線。古い城壁が残っており、元気と時間があれば登ってみよう。上から見渡せる町の景色は、絶景!というわけではないが、それでも十分に綺麗だ。30年戦争の頃にはビーバラッハの城壁は3mもの厚さがあり、難攻不落を誇っていた。今日見ることができる城壁は近年になって再現されたものだ。

城壁に沿ってあるいて坂を下ると、そこは"Werbeberg"と呼ばれるかっての織物業の中心地だ。この家は"Töpferhaus"と呼ばれており、陶器を製造していた。この地区には"Fachwerkhaus"(骸骨屋敷)が数多く残っているので、時間があれば足を運んでみよう。
新市庁舎の裏には、旧市庁舎が残っており、こちらも見事な骸骨屋敷だ。その先には"Komödienhaus"(喜劇館)と呼ばれるかっての"Schlachthaus"がある。大きな建物郡なので一部は博物館としても使用されている。

市場から路地に入ると「あ、綺麗」という建物が、ここにあそこに建っているが、ビーバラッハの町の観光案内には載っておらず、建物の由来は不明。古い建物の横に新しい建物が建っており、中世の赴きが残っているとは言い難いが、一度見ておいても損はない。車で行かれる方は、ナビに"Zeppelingling"と入れれば、町の中心地、喜劇館の裏の地下駐車場に行ける。週末だったせいか2時間以上停めても、たったの1ユーロ。違法駐車をしてチケットをもらうより、格段に安く、便利です。



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